シリーズ
史料で読む 秀吉と秀長
天下人は、ひとりで天下を取ったのか ── もう一人の豊臣・秀長
尾張の身分の低い家に生まれたとされる男が、天下人にまで上りつめる。その隣にはいつも、目立たない弟・小一郎(のちの秀長)がいた。全19章にわたって、同じ時代に書かれた記録と、後の時代に語られた話を分けて追います。
どの章から見ても大丈夫です。各章のはじめに短い振り返りを置いています。気になる出来事や人物の章から読んでください。
一このチャンネルについて
「記録と語り」は、記録に残ったことと、後から語られた話を分けて見る歴史ドキュメンタリーのチャンネルです。
ひとつの出来事について、同じ時代に書かれた記録(当時の日記・書状・覚書など)と、後の時代に語られた話(江戸時代の軍記や伝記、近代以降の読み物)を分けて並べます。よく知られた逸話の多くは後者に出てくるもので、同じ時代の記録には見当たりません。どちらが「本当」かを決めつけるのではなく、どこまでが記録に残っていて、どこから先がわかっていないのかを示すことを目的にしています。
各章のページでは、動画で語った内容のうち「記録と語りの分かれ目」にあたる部分を表にまとめ、出典へのリンクを付けています。次の公開は2026年11月7日、第六章「飢えと水の城攻め」です。
二全19章の一覧
本編は毎週水曜・土曜の19:00に1章ずつ公開しています。公開前の章は、題名と問いだけを先に出しています。
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第五章
播磨の泥沼
味方が次々と敵に回るなかで、兄弟はどう持ちこたえたのか?
1577〜1580年
11月4日公開 - 第六章 飢えと水の城攻め 秀吉はなぜ「戦わずに落とす」ことにこだわったのか? 1581〜1582年6月初め 近日公開
(11月7日) - 第七章 中国大返し なぜ秀吉だけが、あれほど速く戻れたのか? 1582年6月 近日公開
(11月11日)
- 第八章 清須会議と賤ヶ岳 織田家の家臣のひとりが、なぜ主家を超える立場に立てたのか? 1582年6月〜1583年4月 近日公開
(11月14日) - 第九章 勝てなかった相手 戦場で家康に勝てなかった秀吉は、なぜ負けなかったのか? 1584年 近日公開
(11月18日) - 第十章 関白と大和大納言 武家の秀吉は、どうやって関白になったのか? 弟はなぜ大和を任されたのか? 1585年 近日公開
(11月21日) - 第十一章 母と妹を差し出す 戦わずに家康を従わせた策とは何だったのか? 弟・秀長の本当の役割とは? 1586年 近日公開
- 第十二章 九州攻めと追放令 九州を平定したその直後、秀吉はなぜ宣教師の追放を命じたのか? 1587年 近日公開
- 第十三章 黄金の茶室と利休 天下人はなぜ茶の湯と城で「見せる」政治をしたのか? 1585〜1590年(文化史を横断) 近日公開
- 第十四章 刀狩の本当の狙い 刀狩で、百姓は本当に武器を失ったのか? 1582〜1591年(制度史を横断) 近日公開
- 第十五章 小田原と、もう一つの一夜城 秀吉は小田原をどう落とし、天下統一を「完成」させたのか? 1589〜1590年 近日公開
- 第十六章 弟のいない年 天下統一の翌年、豊臣家に何が起きたのか? 1591年 近日公開
- 第十七章 海を渡った戦 天下を統一した秀吉は、なぜ海を渡ったのか? 1592〜1596年 近日公開
- 第十八章 関白秀次の死 関白・秀次はなぜ死ななければならなかったのか? 命じたのは本当に秀吉か? 1593〜1595年 近日公開
- 第十九章 露と落ち 天下人は、最後に何を残し、何を残せなかったのか? 1596〜1598年 近日公開
三章をまたいで読む
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墨俣一夜城、米の買い占め、水攻めは官兵衛の案か ── よく知られた話を「記録/語り/わからない」で並べています。
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秀吉・秀長・官兵衛など。史料での書かれ方と、呼び名の移り変わりをまとめています。
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『信長公記』『太閤記』など、このシリーズで使う本がいつ・誰によって書かれたものかをまとめています。
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動画やこのサイトで誤りが見つかって直したものを、すべて残しています。
四動画で見る
本編は YouTube で公開しています。史料で読む 秀吉と秀長の全章は、シリーズの再生リストにまとめています。



