記録と語り 記録に残ったことと、後から語られた話を分けて見る

人物

大政所おおまんどころ

1513年(永正10)ごろ〜1592年(天正20)

秀吉・秀長の母。

大政所のイメージ
赤子を抱く母 ※イメージ 当チャンネルが画像生成 AI で作ったオリジナルの創作(フィクション)で、実際の姿を写したものではありません。

一呼び名の移り変わり

当チャンネルは、その時期の呼び名を使います。章の途中から見る人のために、初めて出るときは毎回「のちの○○」と添えています。

時期呼び名補足
第一章〜第九章 なか ただし下に書くとおり、この名前自体が伝承です
第十章〜 大政所(おおまんどころ) 秀吉の関白就任にともなう尊称で、名前ではありません

「なか」という名は、江戸後期の読み物に出てくるものとされます。同じ時代の記録で確かめられる名ではありません。当チャンネルが「大政所」を多く使うのは、そのためでもあります。

二史料での書かれ方

この人をめぐっては、秀吉側が語らせた話が残っています。ひとつは日輪の夢、もうひとつは禁中に宮仕えしていたという話(『任官之記』)。どちらも、秀吉が自分の生まれをどう見せたかったかを示す史料として読むのが妥当だと考えています。

三出てくる章

第一章「誰でもなかった兄弟」