記録と語り 記録に残ったことと、後から語られた話を分けて見る

人物

ねねねね

1549年(天文18)ごろ〜1624年(寛永元)

藤吉郎の妻。のちの北政所、高台院。

ねねのイメージ
長屋の戸口に立つねね ※イメージ 当チャンネルが画像生成 AI で作ったオリジナルの創作(フィクション)で、実際の姿を写したものではありません。

一呼び名の移り変わり

当チャンネルは、その時期の呼び名を使います。章の途中から見る人のために、初めて出るときは毎回「のちの○○」と添えています。

時期呼び名補足
当チャンネル ねね 初出で一度だけ「ねね(おね)」と示し、以降は「ねね」
第十章〜 北政所(きたのまんどころ) 肩書きとして。呼び名は「ねね」のまま
晩年 高台院(こうだいいん) 出家後の院号

名前そのものに諸説があります。「ねね」「おね」「ねい(寧)」。秀吉自筆の掟(天正13年)には「お祢ゝ」とあり、自署は「ね」一字だったとの指摘もあります。辞典も「ねね」「禰」「お禰」「寧子」「吉子」と分かれます。生年も1542年・1548年・1549年説、結婚した年も1561年説と1565年説があります。

二史料での書かれ方

『太閤素生記』に、ねね本人が語った話として祝言の様子が残っています。「其長屋茅葺スガキ藁ヲ敷上ニ薄緑ヲ敷キ祝言シツルト政所殿サレ物語」── 茅葺きの長屋で、簀の子に藁を敷き、その上に薄縁を敷いて祝言をした、と。

よく知られた「土間にわらを敷いた質素な祝言」の話は、ここから来ています。ただし「土間に」という細部は、近代に加わった可能性があります。

三出てくる章

第二章「兄に呼ばれた弟」